第三回 日本人とジャズ アドリブ
もしビルの階を標高で表すとしたらどうなるのか?

霞ヶ関ビルの五階とサンシャインビルの五階では標高は違うはずですね。この各階を標高で表すようになったらどうなってしまうか?想像しただけで頭がこんがらがってしまいます。
日本の学校音楽教育が「音名と音階を分けて教える、学習する」この事に気が付かなければ、ジャズのアドリブはごく一部の「絶対音感保持者」のみにしか出来ない文化となってしまう事でしょう。もしかしたら「絶対音感保持者」にも「ジャズのアドリブは困難な文化」と化すかも知れない。
まあ、ジャズのアドリブなど出来なくても「体制に影響がない」といえばそれまでですが、自分に浮かんだメロディーを譜面に表す時、余程の音楽教育を受けた人以外、ハ長調でしか書けないことになってしまいます。
これとて、体制に影響は無しといってしまえば、返答に詰まってしまいますが。
私としては、今からでも遅くないので、「移動ド教育復活」を叫びたい気持ちです。

なぜアドリブに移動ドが必要か?

例えば、「キーの違うハーモニカ」を演奏する時、もし「固定ドで」と云われたらどういうことが起きるでしょうか、又、もし口笛、あるいは鼻歌を歌う時に「固定ドで」と云われても多分不可能でしょう。
絶対音感が有れば可能かも知れないが…………。

「口笛、鼻歌」の場合は、「無意識の中の移動ド」を利用している事でしょう。
アドリブとは「口笛、あるいは鼻歌」の様に演奏されなくてはならないのです。
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